第19期ほこた塾 特別講座② 『烟田氏ゆかりの地を歩く』
2018年11月25日(日)9:00~16:00頃
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鹿行地方文化研究会の高埜栄治氏を講師に迎え、標記の特別講座を開催しました。参加者約40名。中世鉾田の代表的な領主である烟田(かまた)氏の史跡をバスで巡りました。
まずは、本拠地新宮地区です。新宮神社、寿徳寺、西光院、烟田城跡を順番に回りました。新宮神社(写真1)は日本武尊命(やまとたけるのみこと)の東征にその起源があるとのことです。
寿徳寺には初代烟田親幹の格式高い供養塔がありました(写真2)。
そして、烟田城跡(新宮小学校)から見た北浦の景色(写真3)が印象的でした。
次に、行方市にあった烟田氏所領(小幡郷大和田、藤井)を巡りました。その後、鉾田市に戻り、大和田、菅野谷、冨田、鳥栖の各地区の史跡を訪れました。これらの地区では烟田氏が開発した谷津田が生活の基盤を築いていたとのことです。
大和田では、主石神社、須田観音堂(写真4)に行きました。須田地区は、烟田氏家臣団の伝承を有する井川・武田両氏で構成される地域だそうです。
二代目烟田秀幹の四男が菅谷(すげのや)氏を名乗って支配した菅野谷(すげのや)では、菅野谷薬師堂、菅野谷の宿(写真5)へ。
冨田では、冨田館跡(観音堂、香取神社(写真6))に行きました。有力家臣の一人であった冨田氏の子孫と考えられる冨田さん(諸説あり)の家が近くに見えました。
続いて、冨田の無量寿寺(写真7)へ。親鸞聖人の高弟、順信房ゆかりのお寺であり、親鸞聖人が鹿島神宮に詣でる際に休憩に立ち寄る場所だったとのことです。
住職さんにお寺の由来などのお話を伺いました。境内のイチョウの木にモミジとビワが宿っており、ビワに今年初めて花が咲いたそうです(写真8)。異なるものが調和し、花を咲かせ、実を結ぶ。身分の違いなく救いの手をさしのべて下さる阿弥陀如来の教えが現れているようです。
最後に鳥栖(とりのす)の教圓寺と無量寿寺を訪れました。教圓寺(写真9)は地頭村田高時ゆかりのお寺です。
親鸞聖人が村田高時の亡くなった妻を成仏させた伝説は聞いたことがあります。住職さん(写真10)は、なんと村田高時のご子孫なのです。
鳥栖の無量寿寺(写真11)も、順信房ゆかりのお寺です。筆者は初めて本堂に入りましたが、浄土を具現化したような内装に驚かされました。そして、無量寿寺の住職さんは、なんと順信房のご子孫なのです。
歴史の中に鉾田が有り、中世が今に生きている。不思議な感覚に包まれたまま、今レポートを書いているのです。











ちょっとだけ、お邪魔します。
よく、「烟田氏では佐竹氏に滅ぼされた。」とされてます。
実は、初代佐竹昌義から19代佐竹義宣まで一括りされてますが、12代佐竹義人は、11代佐竹義盛の婿養子(上杉憲定の次男)であり、「烟田氏は上杉氏に滅ぼされた。」が実情だと思います。太田城内に若宮八幡宮を創建したのは、佐竹義人のときで、その後は分家の山入氏と戦っています。
それと、レイラインはご存知でしょうか、鉾田市烟田と烟田通幹兄弟が殺害された常陸太田市常福地町は南北ライン上ですね。旧瓜連町にある浄土宗常陸総本山の常福寺は、元は常陸太田市常福地町にあったとされています。戦国時代(南北朝)の始まりから終わりに関わっていたと思われます。
中世を通して常陸国で第一の勢力を誇ったのは佐竹氏であった。佐竹氏は永正元年(1504)に、有力一門の山入氏を滅ぼし北常陸を統一した。
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